アシスタントの実体験
居場所のわからない墓探し
今まで存在すら知らなかったお墓を探し出し、ご先祖様の系譜をたどることは、時間の経過とともにますます難しくなっています。その過程で、さまざまな困難に直面することも少なくありません。クライアント様からそのようなご相談を受けた際には心が痛みますが、ただ「根気強く、時間をかけて進めてください。しらみつぶしに足を運んで探し出す必要もあるかもしれません」とお伝えするしかありません。
しかし、最近、先生からのアドバイスをきっかけに、私自身もどこにあるか分からなかったお墓にたどり着くことができました。これは何かの参考や励ましになればと思い、その経験を共有させていただきます。
ご先祖様の整理をしている際、「そういえば見たことがないお墓がある」と気づきました。それは母方のご先祖様のお墓でした。母方の祖父と祖母は、いとこ同士で親戚の結婚によって血脈が絶えてしまった別の親族の家に養子として入れられました。A家とB家から婿と嫁を出し、C家にまとめて養子にしたのです。A家とB家の親族のお墓には訪れたことがあるのですが、C家のお墓には行ったことがありませんでした。
先生へご相談
先生が「どうもお墓参りをしてほしがっている方がいらっしゃる」というメッセージを送ってきた際、そのお墓の情景を簡単に描いてくれました。母にその絵を見せてみましたが、「こんなお墓は知らない」と言われました。
母の記憶では、山奥にあり、30年ほど前に一度行ったきりで、場所もまったく覚えていないとのことでした。しかし、母は「こんな配置じゃなかった」とも言いました。
時間が経つにつれ、祖母がその場所を知っているのかもしれませんが、90歳を超えた彼女の説明はあまりわかりませんでした。母も面倒がっていたため、血のつながりがないこともあり、しばらくお墓探しを中断し、そのまま月日が流れました。
先日、実家に帰る機会があり、再び母に「本家のお墓参りに行きたい」と言ってみると、「いいよ、私も行ってみたくなってたところなのよ」と予想外の返事が返ってきました。
どうやら、母の得意先の営業の方がその地域出身で、母のうろ覚えの道順を詳しく教えてくれたそうです。母は以前、その営業の方に腹を立てたことがあったそうですが、「ここは堪えなきゃ」と我慢していたとのこと。「我慢しておいて良かった」と言っていました。
お墓参りに行く予定の日、珍しく父も一緒に来て、運転してくれました。
母は父を煩わせることを嫌いますが、「近くのお墓だけ巡ろうか、場所もわからないし」と言いました。私は運転できないため諦めかけていたものの、意外にも父が「場所だいたい覚えてるよ。一回行ったことあるし」と乗り気で答えました!その結果、当初の予定通りお墓探しに行くことになりました。
守護の導き
現地に到着し、父が覚えているという神社の角を曲がり、山道を登り始めた時、一人の老人に出会いました。道の先にお墓があるか尋ねると、「お墓はあるよ。私はこの神社の者で、そこのお墓の管理会長をやっている者だ。あなたたちはどこのお墓を探しているのか」と親切に教えてくださいました。
その老人の教えに従って山を登りましたが、そこは違う場所でした。
帰り道、再び老人に呼び止められました。「一軒だけそのお墓と同じ名前の家がある。そこに電話してあげるから、携帯電話でこの番号にかけて」と電話番号を渡されました。そして、次のお墓候補地への道についての詳細も教えてくれました。
次の小山に到達し、墓地への道を登っていきましたが、ここも違ったようでした。すると、先ほど電話で話をしてくださった方が墓地まで来てくれました。なんでも、九州からめったに来ない親戚がお墓参りに来る予定が一週間先にあったそうで、その親戚ではないかと慌てて駆けつけてくれたのです。
不思議な幸運が重なりました。
その方に同じ名前のお墓が他にないか尋ねると、「あっちの山の上にもあったはず。そっちじゃないでしょうか」と簡単な道順を教えてくれました。しかし、その道は思ったよりも複雑でした。母が車から降り、近くの民家の扉を叩いて道を尋ねました。話によると、その民家の角を上っていった場所にお墓があるとのことでした。
車から降りて山道を登り、道が二つに分かれているところで不安を感じた時、また近くの家から人が出てきて道順を教えていただきました。ほとんど人が出歩いていない真夏の炎天下の昼間の山間で、これほど多くの人に助けられるとは、偶然と人々の親切心に母と共に感動しました。
知るべきこと
さて、墓地に到着すると、母は驚きました。「ここだと思う。でもお墓の位置が変わっている!」と言いました。驚いたことに、その光景は先生が描いた絵と同じ配置でした。さらに、母が覚えていなかった形の、お地蔵様が彫られたお墓もありました。誰も守る人がいないと思っていたのに、お墓にはとてもきれいな花が活けられていました。
疲れ果てて帰宅したところ、珍しく祖母から電話がありました。
母は祖母にお墓のことを確認しました。すると祖母は「お地蔵さんみたいなお墓があったでしょう。今はおじいちゃんの兄弟の息子が見てくれているはず」と、今まで言ったことのなかった情報を話し始めました。
お花はその方々がお供えしてくれたのでしょう。その日に行かなければ、生き生きとしたお花を見ることもなかったでしょうし、墓守りをしてくださる方の存在に気づくこともなかったかもしれません。
また、母にとってもお地蔵様のようなお墓が印象に残っていたため、見つけられなかったお墓があの場所で間違いないという確信を持ったそうです。「実はね」と、墓守りがいてくれることに安堵した母は話し始めました。
「本当は、もうあのお墓に行く気がなくなっていたの。だから、『明日、あのお墓の土地に住んでいる営業の人が集金に来たら、やっぱり行こう』と思っていたの。そしたら、来たのよ!」
営業の人もたくさんいて、あの人が来ると決まっているわけではなく、めったに来ないのに、それで行かなければならないと思ったのですが、「お父さんを連れて歩くのも申し訳ないし」と思っていました。すると、父が道を覚えていて、乗り気になってくれたのです。「これはもう呼ばれたのね」と感じました。
ご先祖様からのギフト
東京に戻り、先生にお墓で撮った写真を見てもらいました。その際、母とお墓が一緒に写り込んでいる写真を指し、「このお墓の方が、お母様にご加護の力をかけてくれているね。この写真は、お墓とお母さんが見つめ合っている」とおっしゃいました。
そのお墓は、母が「こんなお墓があったなんて」と感じていたもので、祖母の言葉にも出てきたお地蔵様のような彫刻のあるお墓でした。すべてはこの方が導いてくださったのでしょう。本当に、お墓に彫られたお地蔵様と、母が微笑みあっているかのような写真でした。
母にそのことを伝えると、母は自分を強く守ってくださっている存在がいることをずっと実感していたようです。それは守護霊であり、現在わかっている系譜での血のつながりはないけれども、遠い過去には同じ血族であったであろう本家のご先祖様だったのかもしれません。
その存在を知り、お墓が荒れた状態でないことを確認できました。「これまで親族の苦労を背負ってきた母に、素晴らしい贈り物をいただけた」と、私はとても嬉しく思いました。