パニック症候群の克服(Mさん・40代男性)

仕事に関して私は、自分のブレーキがかけられず常に突進するタイプでした。

そのような仕事ぶりが原因なのか、何度も倒れては病院に担ぎ込まれることもしばしばあり,過剰な労働とストレスから過呼吸や無呼吸なども患っていました。

とにかくガンガン働き、「俺は誰よりも進んでいる」という充実感に浸っていたのです。その頃は飲食店のプロデュースもしており、年に20数店もの案件を任せれていました。

しかし、友人であり、共に働いていた親友が
オープン前のお店で、突如、不審な亡くなり方をしたのです。
私の軌道は、その頃から音もなく徐々にズレ始めたのです。


流行のお店とはいえ、亡くした友人も過剰な労働を強いられながら悩みを抱えている様子でした。もちろん、通夜やお葬式に行きたくても、事件のあったお店のオープンに立ち会わねばならず行けなかったことは、今でも大きな心残りになっています。

しかしその当時は、とてもそんなことを言ってられるような状況ではありませんでした。会社側は、彼のことを「とんでもない奴」という扱いさえするようになっていました。

この友人の死後から一年経ったころ、会社では様々なトラブルが重なり始めました。私ひとりで、ほとんどの業務の立ち回りをこなしていたのですが、社長はそれではいけないと思ったらしく、人員を徐々に投入し始めました。けれどその中で、安心できるとココロから思える人は一人もいませんでした。

育てるために頑張るのも私の役割でしたが、その人達の首を切るのも自分の役目だったのです。私の中では、割り切れない憤りが少しづつ膨れ上がっていました。


お店を一軒任せられた頃には、本社内部の人間関係も分裂していました。
そして、系列会社も経営がガタガタになり、本社までもが危うくくなっていきました。全体の事業整理の為、毎月何千万円という金策に奔走するという日々がこの頃より始まりました。

毎日、通常業務が終わらせれば3~4時間パソコンに向かったかと思うと
開店までの、残り少ない3~4時間だけ眠るということを日々繰り返していました。

同じころに、亡くなった友人の家族が会社側に訴えを起こしました。
それに対応するための役割までも、私が全面的に任されたのです。
親友の両親を相手に、会社の体裁を背負う形で争うことになってしまったのです。


ココロから、それだけはしたくないと願いました。
その件が決まってからは、パニック症候群の症状も加速していきました。

当時お世話になっていた方と、一緒に楽しく食事をしていたと思ったら
突然、眩暈を起こし、状況がわからない状態になってしまったのです。
呼吸も浅くなり、とにかく外へと飛び出していました。

何故だかわかりませんが、二度と店内には戻りたくなかったのです。外から店員を呼んで、同席していた人を呼んでもらい謝って家に帰ることにしました。

それからは、そのような状態に陥ることが頻繁に起こり始めたのです。
声までもが出なくなり、まともな打ち合わせが出来なくなり、
人といることまでもが、とても苦痛となってきていたのです。


社長にその状況を報告すると、すぐさま知り合いの心療内科に連れていかれて、ようやく自分が重度のパニック症であることを実感しました。

通院されることを勧められたので、しばらく通ってみると…。私としては、ゆっくり話したいことがたくさんあるにも関わらず、5分ぐらいの診察だけで「パニック症です、仕事を辞めてください」と言われ続けただけでした。

その頃には、乗り物がほとんど乗れなくなっていました。
バスも駄目、電車にも乗れない、車も駄目。
自由の利かない状況の乗り物が全てダメになりました。

唯一の移動手段は、いつでも停めて降りられる原付バイクでした。仕事が遅くなり、社長たちと一緒にタクシーに乗り込んだときに、先に乗りこみ奥に座った時のことですが、「扉が開かない」ということに絶えられず、開けた窓から出ようとしたこともありました。

その時は、なんとか停車して降ろしてもらいましたが、その様子を見て初めて社長は、私の症状が、余程ひどい状態にあることにようやく気づいてくれたのです。

その頃から、ようやく本格的に治療に専念し始めました。


会社は辞めることにしましたが、会社側の要望で半年間は残る条件になりました。

精神科で一番の名医が集まっている病院を勧められ、行ってみるとそこは隔離病棟でした。三重にロックされた扉に、片側しか開けられない扉の向こう側には症状のひどい患者がたくさんいました。そんな環境の中で、半時間から1時間ほど待たされるのです。

本当に自分はおかしくなったのではないか、という気分は
どんどん加速して深まるばかりでした。

会社を辞める話しは進めていたので、序々に仕事自体は減っていきました。しかし仕事が減り始めると、パニック症はどんどん痛みを増していきました。

そのような状況を、外部の友人にはじめて一部始終を話してみました。
それが、加勢先生との再会のきっかけとなりました。
実はこの友人を含む3人は、もとは高校の同級生だったのです。

私自身は、会社を通じて有名な霊媒師や占い師などを何人も雇っていましたので、その手の人に対する目は肥えているつもりでした。それでも友人に強く勧められ、一度会ってカウンセリングしてもらうことをお願いしてみました。


会って何も話さないうちに先生は、「〇〇で〇〇な風貌の男性が、あなたを殻に閉じ込めている。殻が厚くなりすぎて自分では出て行けなくなっている。殻を壊さなくては」という話を突如始めました。

その風貌は、まさしく社長のことでした。

「その人から見たらあなたは使い捨てのようなもの。今まであなたのポストにいた人もそうだったんではないですか?」と聞かれました。確かに前任者も精神的に病んで辞めていったのです。

気になっていた友人のことを尋ねると「それはこんな(風貌の説明)人でしょう。見守ってくれていますよ。大丈夫ですよ。」という答えが返ってきました。

肩にずっと乗っていた重たいモノが、一気に降りていくのがわかりました。お墓参りにも行けていなかったので、行くようにとアドバイスもいただきました。会社は辞めたほうが良いとも言われました。

退社と時期を同じくして、また友人から「部屋が空いているから事務所にしないか」という提案を受けました。新しく個人事務所をオープンし、コンサルタント業務を始めることにしました。


事務所ができたので加勢さんにも来てもらい、集中的に診てもらうようになりました。週に一回のチューニング、月に一回は全身のチューニングをしてもらいました。最初の三ヶ月は身体を正すことから始めました。

ところがある日、クライアントとの待ち合わせ場所に向かう為、うっかり地下鉄に乗ってしまいました。薬で症状を抑えられていたことで、調子にのってしまったのです。

ホームに出たまでは覚えていたのですが、その後の記憶は断片的で、
どうやら救急車で運ばれたらしく、意識が戻った時には病院の中でした。

加勢さんからは「薬をやめるように」としつこく言われました。私が薬を飲んでいるかどうかは、嘘をついても加勢さんにはバレていました。


後で聞いたことですが、「薬は麻痺させるだけのもので、適量を超えると神経をさらに追いやるだけのもの。やめなさいと言ってもなかなかやめないのはわかっていましたから、替わりに練気チューニングを頼りとしてすり換えることが必要でした。」とのことでした。

薬をやめ始めると、また「外に出られない」という恐怖感が戻ってきました。伴って行動範囲も狭くなっていきましたが、加勢さんの読みからするとその狭まりは薬に頼っていることから比べれば、何ということはないようでした。程なく症状は加速的に善くなっていったのです。

3~4ヶ月で身体はすっかり完治していました。驚きました。
それからは定期的に、加勢先生に診てもらうように致しました。


仕事にも身が入るようになり、会社を設立するにあたり、運気に乗るために改名もしていただきました。いただいた名前は見た目にも格好良く、私の性質を表す「意味」も織り込まれた特別なものでした。

仕事の量も、アドバイスに従い調整しました。資金的に苦しくなるかもという恐怖感があっても、本当に興味のある内容のものなのかどうかを見極め、選んでいくようにと言われました。次の年には良い波が来るということから見ると、その時の状況は乗り越えられる程度のものだったようです。

実際、加勢さんの読みの通り、良い状態がさらなる結果を招くようになりました。静養を取る事も勧められていましたので、少し長めの休みをとりました。

その間に撤退した仕事先でトラブルがあり、静養に行ってなければ巻き込まれてさらに状況を悪くしていたかもしれない、ということがありました。この、静養に入る時期なども全て診てもらっていました。加勢さんの読みのうちだったのです。


薬も通院もなく、乗り物にも乗れるくらいまで回復してきた頃、友人に助けを借りて、店舗を構えると良いとのアドバイスを頂きました。そのお店がきっかけとなり、会社はその後急成長を遂げられました。

加勢のコメント「運気もあり、体調も戻っていました。しかし、コンサルタントを淡々とこなす性質ではないので、しっかりと店舗を構え、自力に気づく必要がありました。とのことでした。

結婚も直にするだろうし、生活の基盤も整ってきましたし…何より私のアドバイスをよく聞き入れてくださっていましたから、仕事の方の流れも作り易かったのです。先でそのお店は名刺代わりのような役割を果たすということが判ってましたので、その話をおしすすめることを提案しました。」


お店をオープンさせ、経営者となることを決意しました。その後も人事などで、適材適所のアドバイスをいただき、お店が危なくなっても何とか切り抜けることが出来ました。経営者である私と加勢さんでは、同じことを考えていてもそれを行うタイミングが異なってはいました。

しかし、加勢さんを信用しアドバイスを受け入れ続けていました。

そして、そんな頃、とても嬉しい出来事がありました。
私のつらい時期も、長く共にすごしてくれた彼女と結婚したのです。


自分にあったキャパシティの仕事、自分にあった縁の人達との仕事で、心の回転数は良くなりました。不思議なもので、あれだけ苦しんでいたパニック症のことなど、その頃にはすっかり忘れてしまいました。

かといってパニック症にならなければ、今持っているお店も、その先に出てきた出店・事業拡大のチャンスも、ひょっとしたら結婚さえも選ばなかったことでしょう。これらのことは、生涯忘れてはいけないと思っています。本当に今、ココロから迎える日々がとても楽しいのです。

現在は話題の開発地からのオファーがあり、その店舗作りに向かっています。これからの半年の間、一年に20店舗以上のお店を立ち上げていた頃のペースからは考えられない。そんなゆとりの中で、新しい家族と共に精進しています。


「勝ちに向かっている、常に上を見ているということは、あなたの下にいるスタッフ達の安心にもつながります。ひとつひとつを、一人一人を大事にすることが「成功するしかない!」という意欲にも自然とつながってきます。」と加勢さんは言います。

また、「仕事を通じてファミリーが出来上がってきています。リズムが合っています。そのうち運気が停滞する時期も迎えるかもしれませんが、その時には休息のための時間として視野を広めてもらいたいと思っています。

やっと第一段階が終了したというところでしょうか(笑)

答えを与えるだけのカウンセリングには興味はありませんし、それでは応えられません。」と仰ってくださいました。

現在もパートナーとしての意見を伺いながら、自分でアイデアをまとめ築くことを大地を踏みしめながら進めています。

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